妙見寺ブログ

  • 滅却心頭火自涼

    2016年08月26日

    気温は38度を超え、今年も大変暑いお盆となりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。
    妙見寺ではお地蔵様の前のろうそくが写真のように曲がってしまいました。

    「滅却心頭火自涼(しんとうめっきゃくすればひもおのずからすずし)」という有名な禅語があります。これは9世紀頃の中国の詩人である「杜 筍鶴(と じゅんかく)」の詩が元の句と言われております。
    夏日題悟空上人院 夏日悟空上人の院に題す
    三伏閉門披一衲 三伏門を閉ざして一衲を披る
    兼無松竹蔭房廊 兼ねて松竹の房廊を蔭う無し
    安禅不必須山水 安禅は必ずしも山水を須いず
    滅却心頭火自涼 心頭を滅却すれば火も自ずから涼し

    和訳しますと、
    「猛暑にも関わらず、悟空上人は山門を閉ざし、きちんと法衣を着られます、寺には日を遮るような松や竹はありません、しかし、安らかに坐禅をするには必ずしも山や水の豊かな場所を用いる必要はない、上人のように暑さにさえも心を奪われることないの境地に達すれば、火もまた自ずと涼しく感じるようだ。」となります。

    これは禅の修行をすれば暑さもへっちゃらになる、というわけではありません。

    「心頭を滅却すれば火も自ずから涼し」

    「心頭」とは自分自身の心のこと、「滅却」とは自分自身の感情に振り回されることなく、ありのままを受け止める静かな澄み切った境地になることを表しております。
    猛暑の中、衣を着て坐禅をすることは確かに誰でも暑いと感じるでしょう。しかし、禅の実践からすれば、暑いという感情に左右されず心を落ち着けることによって、自分自身の心が、穏やかで澄み切った「涼しい状態」になるということです。
    私たちは普段の生活の中で、「暑い」「寒い」「忙しい」「疲れた」など様々な感情を口に出してしまいます。人とコミュニケーションをとるために使うこととしては大切かも知れませんが、その状態の「苦」ばかりにとらわれるのではなく、その状態をありのままに受け止めることが大切です。ある時はその感情を受けとめ、ある時はその感情から学び、その学びから楽に転じる生き方を実践していく。苦に囚われない生き方こそ、素敵な生き方であると私は思います。まだまだ暑い日が続きますが、心涼しく素敵な日々を過ごしてまいりましょう。合掌。

  • 百日紅が開花しております

    2016年07月26日

    妙見寺では百日紅(さるすべり)が開花し、綺麗な白色の花が綺麗に咲いております。木の高さは8メートルはありますでしょうか。
    百日紅が咲きますと、夏になったという実感がわいてまいります。栗も柚もすくすくと成長しております。
    8月はご先祖様がかえってこられますお盆ですね。皆様の御先祖様に喜んでいただくため、お仏壇を綺麗にしていただき、
    迎え火を焚いて素敵なお盆をお迎えしましょう。合掌。

  • 多くの人の努力

    2016年06月27日

     今回は副住職が赴任しておりますヒロ大正寺のことについてお話させていただきます。

    大正寺創立の由来は、1915年9月、永平寺貫主をお勤めになられておりました日置黙仙禅師様がサンフランシスコで開かれました世界仏教徒大会からの帰りにヒロへおこしになられ、6日間曹洞宗の教えをお説きになられました。その際、禅師様を慕う人、もともと日本で曹洞宗の檀家だった人の中で結束がうまれ、この地に曹洞宗寺院建立の誓いを立てたのがきっかけです。そして翌年1916年4月、大正寺1世の開教師となる江澤白道老師がヒロへお越しになられました大正寺の歴史は始まりました。それ以降、多くの開教師やメンバー様の努力もあり、今日までこの寺院は支えられて繁栄を続けてまいりました。このお寺は檀信徒様にとって本当に大切なものであるということを実感いたしました。
     皆さんの中にはハワイを楽園のような場所だと思う方もいるかもしれません。そうではなく当時ハワイへ製糖工場で働くために移民してこられた日本人にとって、ハワイでの生活はどれだけ苦しく辛いものであったかは私の想像以上でした。そんな方たちにとってのお寺や僧侶は本当に心の拠り所であったそうです。共に支え合い励まし合い守ってきたハワイのお寺には多くの人の想いがつまっています。
    今年1916年は、大正寺創立100周年を迎え、その記念慶讃法要が10月に厳修されます。このような記念すべき年に副住職が国際布教師を務めさせていただくことに恐縮致しますと共に、皆様にとって素晴らしい100周年になりますよう努力してまいります。

  • 「幸せ」とは、「手に入れるもの」ではなく「気づくもの」

    2016年05月26日

     ホームページをリニューアル致しました。リニューアル自体は3月終わり頃から行っていたのですが、本日まで新しいサイトを公開できないという問題が発生しておりました。その期間御覧になってくださった方いらっしゃれば、大変申し訳ございません、ご迷惑をおかけ致しました。

    今回は「幸せ」についてお話をしていきたいと思います。
    皆さんは「自分の幸せ」について考えたことはありますか?そして「幸せ」とはどこにあると思いますか?
    私たちは時として、自分の「幸せ」をなんだかわからず、目の前の「手に入れもの」ばかりを追ってしまう傾向があります。例えば、お金持ちになることが幸せになる方法だと思い、沢山お金を稼ごうとします。または好きな車を買ったり、広い土地を持ったり。確かにそれらは生きていくためにはとても大切なことですが、それだけがすべてではないということです。禅の教えでは「幸せ」とは、「手に入れるもの」ではなく「気づくもの」だと言われています。どういうことでしょうか?では一つの映画のお話を参考にして考えていきましょう。
     皆さんは「トイストーリー」という映画をご存知ですか?写真を載せたいのですが著作権の問題もありますので掲載は控えたいと思います(笑) 私も子供の頃は夢中でみていたことを覚えています。
    これはトイストーリーというピクサーの映画で、この話は、おもちゃであるウッディは、おもちゃの持ち主であるアンディという少年に愛され幸せな日々を過ごしていましたが、新しいバズ・ライトイヤーというおもちゃが現れてから、アンディの心はバズへ移ります。それを気に食わないウッディがバズにいたずらをするが、予想外の展開になっていきます。最後には二人は仲直りをし、二人共アンディのお気に入りのおもちゃとして幸せ暮らすという話です。
     私はこの話が大好きです。この話を「手に入れる」と「気づく」にフォーカスをあてて考えたいと思います。
    ウッディは再びアンディのお気に入り座を「手に入れる」ためにバズにいたずらを企てますが、それをみた周りの仲間は彼を軽蔑し、批判します。そして彼は自分が行ったことは反省し、バズと仲良く過ごすことが大切であると「気づき」ます。そしておもちゃの持ち主であるアンディは、最初新しいおもちゃであるバズを「手に入れて」、バズばかり大切にしてしまいますが、彼はウッディとの楽しい思い出を思い出し、古いおもちゃであっても大切にすべきだということに「気づき」ます。
     私たちは普段の生活で自分の欲を満たすためにいろんなものを欲しがります。物や財産、地位や名声、色んなものを欲しがります。しかし、新しいものを手に入れても、次の日にはまた新しいものを欲しいと思う感情が生まれます。そしてもし私たちは新しいものを手に入れることができなかった時、ものが手に入らないという悩みが生まれます。それだけで幸せになれると思いますか?
    しかしそうではいけないのです。私たちは今あるこの状況のありがたさに気づかなければなりません。
    「気づき」があれば、私たちはものを欲しいと思い続けることの先に、迷いや悩みしかないということに気づくことができます。「気づき」があれば、私たちは一人で孤独なのではなく、身の回りの友人や仕事仲間ががどれだけ自分にとって大切な存在であるかどうかに気づくことができます。「気づき」によって自分自身の世界が変わり、私たちは「幸せ」になることができます。
     気づくということは仏教においてとても大切なことです。私たちもトイストーリーの彼らのように何が本当に大切なものであるのか「気づく」ことのできる人になりましょう。合掌。

  • 諸行無常

    2016年04月25日

     4月が過ぎ、新生活が始まりお忙しくこの一か月を過ごされた方が多かったのではないでしょうか?

     さて4月は桜が咲く季節ですね。誰もがその見事な桜の前で立ち止まり写真をとっている姿をよく目にします。私たちは桜のきれいな花の色を好みますが、それだけがこの桜の魅力ではありません。桜も満開から一週間たてば花びらはすべて落ち、満開の姿は見る影もないほどただの花びらのない木となってしまいます。しかし、桜の木自体は枯れたわけではなく厳しい冬を乗り越え、また来年には綺麗な花を咲かせるのです。
     仏教には諸行無常という教えがあります。この教えは世の中のものはすべて永久に続くものはなく、すべてのものは変化し続けるという教えです。私たちの命もいつかは終りを迎えます。しかし、それと同じように、新しい生命が誕生します。その新しい生命も私たちに喜びを与え、桜と同じように努力をし、立派に成長していきます。
    辛いことがあり悲しいと思っていた気持ちも、いつかは立ち直ることができます。これもこの世の中が変化し続けるからなのです。つまり私たちは変化することを受け入れなければなりません。私たちはしばしば日常生活の中で、自分のしたくないことに直面すると「面倒くさい」という感情や、悲しい出来事により「ショックで立ち直れない」という感情が生まれます。まさにそれらの感情は、「変化しない」ことにこだわってしまっているのです。それが私たちの「苦しみ」を生む原因となってしまいます。

    桜が一生懸命に変化し成長していくように、私たちも変化を恐れることなく、変化を受け入れることのできる自分になりましょう。

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