妙見寺ブログ

  • 山門が新しくなりました

    2017年06月01日

    妙見寺では4月の初旬より山門改修の工事を開始し、約2か月余りの工事期間を経て無事完了致しました。

    「山門(さんもん)」とはお寺の正門のことです。お寺は昔、山岳地帯に建てられていたことから山号(妙見寺は天白山)がつけられ、お寺の門も山門と言われるようになりました。


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    従来の山門は劣化が激しく、参拝者様にも少々危険な山門であったため今回改修する運びとなりました。

    新しい山門に変わるととても気持ちが良いですね。是非一度お越しいただき、ご覧ください。合掌。

  • アンスリウム

    2017年05月24日

    今回は副住職(私)の赴任しております、ハワイ島のお寺でお供えしているお花についての投稿をさせていただきます。

    私が赴任しております大正寺では毎週土曜日に檀家様が交代で掃除にきてくださり、掃除機をかけたり花を変えたりしてくださいます。

    皆様のおかげで参拝にこられた方はいつでも色鮮やかなお花をご覧いただくことができます。今回はそのお花の中でよくお供えしていただく2種類の花を紹介させていただきます。

    まず上の写真がAnthurium(アンスリウム)という南米原産の花です。

    葉っぱのような花びらをした特徴的な花です。大正寺では一番この花を供えることが多いです。

    この花の栽培はハワイ島の気候がとても適しており、年中この花を見ることができます。花のもちもよく、水の入れ替えだけでも1~2週間は十分持つとても綺麗な花です。花言葉は「情熱」「煩悩」。

    まさか「煩悩」という仏教と切っても切れない関係である花言葉に私は大変気に入っております(笑)

    上の写真はginger(ジンジャー)。いわゆるショウガの花です。
    これはピンクジンジャーというピンク色の花ですが、基本的には赤色のレッドジンジャーが有名です。ショウガの花だと聞いてよく見ておりますと、何となくお寿司屋さんで出てくるガリのようにも見えてきます(笑)
    原産は西太平洋。いけばなや造園に好んで用いられます。

    さっと2種類のお花を紹介しましたが、まだまだ日本ではあまり見たことのないような花がたくさんあります。お寺の花でも場所や環境が変わればその土地柄に合わせた珍しい花をみることができるから面白いですね。花は私たちの心を癒してくれます。同じように私たちも花のように人の心を癒すことのできる綺麗な心(仏心)をもっているのです。普段の生活の中で、私たちは人に流され、または自分の欲によって簡単に心は汚れてしまいます。そうではなく、いつも自分自身の心を磨く生き方を忘れることなく、自分の心の花を毎日咲かし続けることのできる努力のできる人になりましょう。合掌

  • お釈迦様と蓮の花

    2017年04月24日

    4月、5月になりますと新芽の変わり目で、妙見寺では落ち葉の掃除がとても大変です。住職は「落ち葉止め」を自作し、落ち葉が排水溝につまらないよう工夫をしています。

    さて、今月4月8日はお釈迦様の誕生日でした。クリスマスを祝っても、お釈迦様の誕生日はお祝いしない方が多いかもしれません。仏教徒でしたら是非この日には関心を持っていただきたいものです。
    今から2500年前、お釈迦様は今のネパールである、カピラ国の王子様として生まれました。
    お釈迦様の誕生日をお祝いすることを「花祭り」と言います。この名前の由来はお釈迦様がルンビニーの花園でお生まれになってことから花祭りと言われるようになったそうです。釈迦様と花はとても密接な関係があるのです。
    皆様はお釈迦さまの像をじっくり見たことはありますでしょうか?お釈迦様のお座りになられている台座は何かの花の形をしています。それは何の花かご存知でしょうか。
    それは蓮の花です。たいていのお釈迦様の像は蓮華座(蓮の花)に座っておられます。
    ではなぜ、お釈迦さまの台座に蓮の花が選ばれたのでしょうか。それは、蓮の花が泥水の中でしか咲かないからです。きれいな水では蓮は立ち上がって来ないのです。蓮にとってどうしても泥が必要なのです。
    お釈迦様は泥を私たち人生のつらいこと・悲しいこと・苦しいことに例えられました。 蓮の花とは、人生の中で花を咲かせること、私たちの人間としての成長を表しています。お釈迦様は、私たちにつらく悲しい思いがなければ、人間は成長することがないのだ、ということを教えてくださっています。 人生の中で辛いこと悲しいこと様々なことがあります。何かを失敗したり、人に叱られたり、楽しことばかりではありません。いつまでもその苦しみを抱え前向きに生きていけない時もあるかもしれません。しかし辛いことも私たちの心を成長させてくれる大切な役目をしてくれていることを私たちは気づかなければなりません。
    私は小さい頃に人からいじめられて嫌な思いをしたことがあります。しかし、そのおかげで私は人が傷つくことの辛さを知り、人をいじめるような行為は絶対してはいけないということを学びました。風邪をひいたり、足を怪我した時は、自由に動けることの素晴らしさに気づかされました。失敗や苦しみで学んだことは私にとって大切な人生の思い出です。
    蓮の花は水の中の泥によって支えられ咲いています。同じように、私たちも多くの経験を支えにして今を生きていかなければなりません。これからどんな辛いことがあっても、私たちは今を幸せに生きるエネルギーに変えていくべきだとお釈迦様は私たちに教えてくれました。 お釈迦様は私たちがどんな時でも心穏やかに幸せに過ごされることを祈っておられます。合掌。

  • 心施

    2017年03月24日

    3月はお彼岸の月でした。皆様はお墓参り、またはご先祖様の為にお手を合わされましたでしょうか?

    お彼岸の時期にはご先祖様のお墓へ行き、亡くなった故人様の幸せを願います。そして自分も苦しみのない仏様の世界である「彼岸」にいけますようにとお祈りをし、仏様の修行を行ったことがお彼岸の始まりだと言われています。
    今月は「無財の七施」というお釈迦様の教えで、ものやお金が無くても誰でも簡単にできる7つの布施の中の「心施(心慮施しんりょせ)」についてお話をしてまいりたいと思います。この教えは自分の心を相手に与える、つまり相手の気持ちに寄り添う、または相手の気持ちになって行動するということです。 私はこれが相手と理解し合う上で必ず必要なことであると思います。「心施」ができる人はこんな素晴らしいことができます。
    例えば、もし横断歩道で目の不自由な人が立っていたら、あなたはあの人が道を渡れず困っているんだなと気づき、「大丈夫ですか?」と声をかけ、手を握って道路を渡る手助けをすることできます。もしあなた友達が少しいつもと違う顔をしていれば、あなたは友達が何か困っているんだなと気づき、友達の相談に親身になって聞くことができます。しかし、もしあなたが自分のことばかり考えていると、あなたは目の不自由な人の存在や友達の些細な変化にも気づかないかもしれません。

    私は「心施」の大切さについて、気づかされた出来事がありました。
    それは東日本大震災です。今から6年前の3月11日、私たちにとって二度と忘れることのできないとても大きな災害が起こりました。マグニチュード9.0の地震が東北地方を襲いました。それにより沿岸部では約10メートルに及ぶ巨大津波が発生し街を飲み込みました。さらに地震発生後、福島第一原子力発電所(福島県双葉郡大熊町・双葉町)において、放射性物質が漏出する重大事故が発生しました。この災害により約1万9千人の命が奪われ、今も避難を強いられている方が数多くいらっしゃいます。今年であの災害から6年目、7回忌の法要が日本各地で行われました。妙見寺でも7回忌の法要を住職が、私副住職もハワイ島のお寺で務めさせていただきました。
    災害発生当時、私は何かお役に立てることはないかなと思い、大阪の僧侶たちと2度ほど支援活動の為に福島県、宮城県を訪れ、崩れて無くなってしまったお寺の前や海に向かって、お経をおあげさせていただきました。そして瓦礫の撤去作業、仮設住宅へ回り、大阪からもってきたたこ焼き器を使ってたこ焼きを皆さんに振舞い、傾聴活動もさせていただきました。
    最初はどのような気持ちで被災された方と接すればよいのか全く分かりませんでした。とにかくお話を聞こうと一生懸命話を聞いていました。何人かの方とお話をし、その後、先輩僧侶の様子を見てみました。そうすると、先輩僧侶は被災された方と楽しく笑いながらお話をされておられました。その時私はなんでこんな悲しことがあったのに笑っていられるんだと不思議でなりませんでした。その活動が終わった後、先輩に話を聞くと、こういうことを言われました。
    「被災者の方は癒しを求められている。では逆になんで君は辛い人の前で辛い顔しかしないのか?」
    その時、私は相手のことを考えているようで考えていない自分に気が付かされました。確かに真剣にまじめに話を聞いてほしい人はいますが、それだけが全てではありませんでした。
    優しいまなざし、笑顔で接し、相手の不安な気持ちを取り除く努力をすることを私は怠っておりました。
    相手の喜びには一緒に笑い、相手の悲しみには共に励まし合うということが相手の気持ちに寄り添うことであり、「心施」なのだと気が付かされました。私はこの経験を通して、より相手の気持ちに寄り添う努力をしていこうと思いました。
    皆さんは普段からどれだけ相手の気持ちを考え、行動ができていますか?相手の気持ちに寄り添うということは、相手を幸せにする第一歩です。
    お彼岸を通して「心施」を学び実践し、相手の気持ちに寄り添うことのできる人になりましょう。合掌。

  • 今の瞬間を大切に生きる

    2017年02月26日

    厳しい寒さが続きますが、妙見寺では梅の花が開花してまいりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。

    今月はお釈迦様の八正道の教えの一つである「正念」についてお話をしていきたいと思います。「正念」とは自分の意識を『今の瞬間に集中させる』ことです。
    皆さんは普段の生活の中で今という瞬間をどのくらい大切に生きていますか?例えば、今この私の文章を読みながら、仕事のことを考えていたり、今日の夜のご飯は何にしようと考えたりしていませんか?もし今あなたがそのようなことを考えていれば、今の瞬間を大切に生きていないことになります。今を大切に生きるということは、この文章だけに意識を向け、丁寧に読むということです。

    「今を大切に生きる」ということに関して、お釈迦様はこのようなこともおっしゃっています。
    「過ぎ去った日のことは悔いず、まだこない未来にはあこがれず、とりこし苦労もせず、現在を大切にふみしめてゆけば、身も心も健やかになる。過去は追ってはならない。未来は待ってはならない。ただ現在の一瞬だけを、強く生きねばならない。」
    私たちは時々過去の出来事で後悔したことを引きずったり、やるべきことを後回しにしてしまうことがあります。もしあなたがスポーツをしていて過去の失敗したことをばかりを考えていては、素晴らしいプレーをすることはできないでしょう。もしあなたのやるべき宿題が明日までとわかっていながら、ゲームをして後回しにしていては、明日までに間に合わないかもしれません。今の瞬間を生きるということは、過去のことに囚われることなく、今自分のやるべきことを見極めていくことです。
    私は僧侶になり8年が経ちます。その中で、私は多くの葬儀や法事を経験させていただき、ご遺族の方から、たまにこんなことを聞くことがあります。
    「もっと(亡くなった)おじいちゃんにありがとうって言っておけばよかった。」「(亡くなった)主人にもっと優しく接していればよかった。」と。
    過ぎ去った過去は戻ってきません。後悔してもどうにもならないのです。
    だからこそ私たちは、そんなことが二度と起こらないように今を大切に生きていかなければなりません。もしあなたの周りであなたのことを想い、支えてくれている人がいれば、その人に感謝をし、「ありがとう」と言いましょう。なぜならそれが、その人に対してありがとうと言える最後の機会になるかもしれないからです。今の瞬間を生きるということは、今自分のやるべきことを怠らず、行っていくことです。 どんな瞬間も大切に生きてまいりましょう。合掌。

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