妙見寺ブログ

  • 四摂法のバナー

    2018年05月01日

    5月になり妙見寺の梅の木も鈴なりに実のなる季節となりました。皆様いかがおすごしでしょうか。
    今月は副住職の赴任させていただいておりますハワイ島大正寺での活動を報告させていただきます。ハワイには10ケ寺の曹洞宗寺院がございますが、それぞれが協力して布教活動をしております。その活動の一つとして曹洞宗開祖の道元禅師が大切にされた教えである四摂法(ししょうぼう)のバナー(垂れ幕)を作成しました。
    写真がその垂れ幕ですが、それぞれ四摂法の四つの教えがプリントされています。

    「布施(ふせ)」とは、他の人に自分の所有している物や知識を分け与えること。

    「愛語(あいご)」とは、他の人に慈悲深く・愛情のこもったの言葉をかけること。

    「利行(りぎょう)」とは、他の人が幸福になり、相手を助ける行為をすること。

    「同事(どうじ)」とは、他の人と同じ心や立場になり、ほとけ心をはたらかせることです。
    今回のプロジェクトでは英語、日本語、ハワイ語の3種類の翻訳と、アントリアム、レフア、バードオブパラダイス、ヘリコニアというハワイを代表する綺麗な花が描かれています。ハワイの人々により曹洞宗の教えを知っていただく為の素敵な試みです。副住職もこのバナーの作成に携わらせていただきました。四摂法は仏教徒としてとても大切な教えであり、私たちの日常生活の中で実践することのできる素晴らしい教えです。皆様も「今」から実践してみてはいかがでしょうか。合掌。

  • お釈迦様花まつり

    2018年04月01日

    4月になりました。妙見寺では桜の花や様々な花が開花し、春の訪れを感じます。

    皆さん4月8日は何の日かご存知でしょうか?

    4月8日はお釈迦様の誕生日です。お釈迦様の誕生をお祝いする行事を「花祭り」と言います。この名前の由来はお釈迦様がルンビニーの花園でお生まれになってことから花祭りと言われるようになったそうです。
    今から2500年前、お釈迦様はカピラ国の王子様として生まれました。お釈迦様の母であるマーヤーは六つの牙をもつ白い象が天から下り、自分の中に入っていく夢を見られたあと、お釈迦様を出産されました。象はインドでは高貴な人の乗り物で、白は最上・最善の意味がありますから、最も優れた人ということを白象で表現しているのかもしれません。
    お釈迦様は、お生まれになってすぐに七歩進み、右手で天を、左手で地を指差し「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と宣言されたといわれています。
     漢字をそのまま訳すと、この世の中で自分が一番えらいんだという訳になりますが、そういう意味ではありません。この言葉は、『自分という存在は誰にも変えることのできない特別な存在であり、その命のまま尊い。』ということが本来の意味です。
    しかし、私たちはいつも他人と自分を比べ、誰よりも綺麗になりたい、誰よりも裕福なりたいなどと望みます。そうではなく、例えば花のように、それぞれ違う形の種でも、成長すれば、どの種も綺麗な花を咲かすことができます。私たちも同じで、顔や性格が違うことはその人自身の個性であり、誰もが特別な存在です。
    他人と比べるのではなく、自分の命や他人の命を大切にすることで誰もが幸せな人生を送ることができます。お釈迦様はこの言葉を叫び、一人ひとりがその命を無駄なく大切にいきるべきであると説かれました。
    そんなお釈迦様に感謝をして、お釈迦様の花祭りをお祝いしましょう。合掌

  • 布施

    2018年03月01日

    3月になり、春も近づき梅の花が咲き始めました。皆様いかがお過ごしでしょうか?
    今月はお彼岸の月です。皆さんはどうお彼岸を迎えられますでしょうか。
    「お彼岸」とは私たちのご先祖様がいらっしゃる、苦しみのない仏様の世界のことを意味します。お彼岸期間中は仏様の世界に行けるよう六波羅蜜(ろくはらみつ)と言われる6つの修行を実践する期間だと言われています。今回はその一つである「布施(ふせ)」についてお話をしたいと思います。
    皆さんは布施と聞くと、僧侶に渡すお金のことをイメージされるかもしれません。布施とはサンスクリット語で「檀那(旦那)(ダーナ)」といい、他人に財物などを施したり、相手の利益になるよう教えを説くことなど、「与えること」を意味します。
    布施の起源は、インドのある僧侶が貧しい家の方に説法をして、そのお返しにあげる者がなく、赤ちゃんのおしめに使っている布をほどこしたのが布施の起源だと言われております。今私がこのウェブサイトを通して皆さんに布施についてお話を書いているのも、その修行の一つです。さまざまな布施の方法がありますが、私たちはこれをどのような気持ちで人に与えるかということを私たちは考えていかなければなりません。
    お釈迦様の頃にこんなお話があります。ある日お釈迦様の弟子である舎利弗が信者様からごちそうをいただきました。布施の心を学んでいた舎利弗は、それを尊敬するお釈迦様の所へ持って行き、召し上がってもらおう考えました。

    舎利弗はお釈迦様の所へ行き、こう言いました。「どうぞ召し上がってください。」お釈迦様は感謝しそれを受け取ると、なぜか自分で頂くのではなく、それを隣の犬へあげてしまいました。それを見た舎利弗は驚きます。そしてお釈迦様は舎利弗に言いました。「そなたが私に供養したのと、私が犬に与えたのと、どちらが功徳があるか?」と。その時舎利弗は気づき、反省をしたという話です。
    皆さんはこの話を聞いてどう思いますか?私は最初この話を呼んだ時、もし私が舎利弗ならせっかくあげたものを犬なんかにあげて、と怒るかもしれません。この話で何を伝えたいかと申しますと、与えたものに執着をしないということです。
    お釈迦様も道元も、「布施とは、執着しないこと」といいました。
    今回の話はちょっと意地悪な行為のように思えますが、お釈迦様は舎利弗に執着しないことの大切さを伝えたかったのです。私たちは時々、自分の都合の良い人だったり、見返りを求めて人にものを与えたりすることがあります。それが習慣になると、その行為は布施ではなく自分の欲を充たすための執着になってしまうのです。
    ただ他人の幸せを願い、どんな人であっても愛する気持ちをもって布施をすることがお釈迦様、道元のいう執着しないという大切な禅の教えなのです。布施の教えをお彼岸の期間、また日常生活で実践していきましょう。合掌。

  • 涅槃会

    2018年02月01日

    2月になりました。皆さん2月15日が何の日かご存知ですか?
    バレンタインデーも大事ですが、その翌日のお釈迦様が入滅された涅槃会(ねはんえ)は仏教徒として、とても大切な日です。
    お釈迦様は29歳から6年間の修行を経て35歳でお悟りを開かれました。その後、45年間多くの人の悩みに向き合い、幸せに生きるための道を示されてきました。
    お釈迦様は80歳の2月15日に亡くなられた時、写真の絵の通り、沢山の弟子や動物が涙を流し、さらには草花さえもお釈迦様の死を悲しみました。それだけお釈迦様はその当時多くの生きとし生けるものに愛情を与え、心の拠り所として生きてこられたことがわかります。

    どんな人であっても必ず死はやってくるのです。
    皆さんはいつも身近にいる大切な人が亡くなった時、どのような気持ちを感じますか?おそらくどんなに心が強い方であっても、悲しみや苦しみが皆さんの心を埋め尽くしてしまうかも知れません。
    曹洞宗のご詠歌にお釈迦様の涅槃を歌にしたのものがあります。

    「ひとたびは涅槃の雲にいりぬとも 月はまどかに世を照らすなり 世を照らすなり」

    皆さんはこの歌詞を詠んで何を感じますでしょうか?
    お釈迦様が亡くなった時、2月15日はとても綺麗な満月が出ていたそうですが、雲によって全く見えなくなってしまいました。しかし、月は無くなってしまったのでしょうか?そんなことはありません、たとえ見えなくなってしまっても月はいつでも雲の上で光輝いて、世の中を照らしています。
    それと同じように、お釈迦様も亡くなって姿かたちは見えなくなってしまいましたが、お釈迦様の教えはいつまでも私たちの心の中で生き続けているのです。
    亡くなった方の想いも同じです。月が世の中を照らすように、私たちの心の中で先に旅立った私たちの愛する人たちの想いは、いつまでも私たちの心を照らし、生き続けているのです。
    私は大切な人を亡くした時、ただその人の冥福を祈るだけではなく、亡くなった人との思い出を大切にし、その人から頂いた優しさや愛情を、これからの私の人生で多くの人に伝えていくようにしています。
    お釈迦様の涅槃会をとおして、お釈迦様の教えや故人様の想いを受け継ぎ、より多くの人に愛情を注ぐことのできる素晴らしい人になりましょう。合掌。

  • 明けましておめでとうございます

    2018年01月01日

    謹んで新年のご挨拶を申し上げます。当山も檀信徒皆様のご慈愛を賜り、新年を迎えることが出来ました。心より感謝申し上げます。
    二〇一八年を迎え、皆様はどのようなお正月を過ごされてますでしょうか?ご家族でおせち料理を食べたり、旅行へ行かれたりと各々素敵な時間を過ごされていらっしゃることかと思います。
     今月は皆様にこんな禅語をご紹介させていただきます。それは「愛語(あいご)」です。これは我々曹洞宗の開祖である道元禅師様が説かれた教えの一つです。これはそのままの意味で「愛のある言葉を伝える」という事です。愛のある言葉は「ありがとう!」「うれしい!」など、感謝をする時だけではありません。「大丈夫?」「気をつけなさい!」など、励ましたり、人に注意をする言葉も、そこに相手を思いやる真心があれば立派な愛語なのです。
     さらに、道元禅師様は愛語についてこのような言葉をおっしゃっています。「面と向かってまごころや愛のある言葉を聞くと、人は喜びが顔にあらわれ、心がゆたかになります。」
    最近は人と向かい合うより、テレビや携帯電話と向かい合う時間の方が多いのではないでしょうか。愛語こそ人の心を豊かにし、自分自身が生きる喜びを感じることのできる大切な行いです。身の回りには好きな人、苦手な人、必ずいると思いますが、どんな人にも平等に愛語を使える人になりましょう。それが仏様の願う大切な生き方です。
     それでは皆様のご多幸とご健勝を心から祈念致しまして、新年のご挨拶とさせていただきます。合掌。

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