妙見寺ブログ

  • 茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す

    2016年11月26日

    皆様おはようございます。妙見寺では山茶花が綺麗な花を咲かせました。皆様いかがお過ごしでしょうか?
    今月21日は瑩山紹瑾禅師(けいざん じょうきん ぜんじ)の降誕会ごうたんえ(誕生日のこと)にあたります。
    瑩山様は日本に道元禅師様が開かれました曹洞宗を、日本各地に広められたことで有名です。瑩山様はとにかく慈悲の心で溢れた方で、多くの人をお救いするために尽力された方です。瑩山様が書かれた文献には「人を救うために、私はこの命をささげても構わない」と記されていたほどです。
    そんな瑩山様は師匠である義介禅師様より平常心是道(特別な方法や近道はなく、日常生活の中に仏道そのものであるということ)という教えを聞いた際、瑩山様は「喫茶喫飯」(茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す)という教えを説かれました。

    「喫茶」とはお茶を飲む時は、目の前のお茶を飲むことに集中しましょうという意味です。「喫飯」はご飯をいただく際は、目の前のご飯を食べることに集中しましょうという意味です。「喫茶喫飯」という禅語は、一度に複数のことを同時に行うのではなく、一つのことに丁寧に向き合っていくことが大切であるという意味があります。
    皆さんは忙しい毎日を過ごしている時、味わうことなく急いでご飯を食べてしまうことはありませんか?
    先日私は街を車で走っていましたら、ハンバーガーを食べながら車を運転している人を見かけました。おそらくゆっくりする時間がないので運転中に食事を済ませていいるのでしょう。他にも右手には携帯電話、左手でサンドイッチを持ちながらハンドルを握って運転している人を見たこともあります。とても危なっかしいですね。そんな時おそらくその人は味わうことなくご飯を食べているでしょう。意識はいたるところは向いています。しかしそれではよくないと瑩山様はおっしゃられます。
    私たちは毎日の生活の中で、忙しくしているとあらゆることを考えます。そうすると複数のことを同時に行い、気持ちが落ち着かなくなることがよくあります。
    やるべきことが抜けていないか心配になったり、次の仕事が気になって落ち着いて休むことができなかったり。気が付けば、いつの間にかマイナス思考になっているかもしれません。
    だからこそ、喫茶喫飯です。
    どんなに忙しくても二つ同時に行ってはいけません。食事をする時は、合掌して食べ物に感謝をしていただく。それ以外のことも他のことは考えず、深呼吸をして気持ちを落ち着けて一つのことに丁寧に向き合っていくべきです。そうすることによって、私たちの心はぶれることなく、落ち着いた状態でいることができます。いつどんな時でも一つのことに丁寧に向き合きあえる人になりましょう。合掌。

  • せせらぎ観音堂

    2016年10月25日

    妙見寺本堂向かいに「せせらぎ観音堂」(お骨お預かり堂)を建立致しました。

    このお堂は、観音様の慈悲の御心と、背後に流れる優しい水のせせらぎに包まれながら眠る、自然豊かな太子町の新しいお堂です。

    正面には宝珠(ほうじゅ)を手に持った観音様をお迎え致しました。宝珠の宝とは仏の心のことです。
    仏様の心は囚われのない素直なとてもすばらしい心です。私たちは誰でも元々その心が備わっていると仏教では言われております。しかし私たちは生きていく中で、その素直な心を失ってしまうことがあります。だからこそ観音様はこの宝珠を見せ、私たちがいつも仏様と同じ素直な心でいることを願われております。私たちが囚われなく笑顔で精一杯毎日を生きることが、何よりも故人様への供養となるでしょう。

    御希望されておられました方には順次御案内させて頂きます。


    せせらぎ観音像


    本堂の目の前にあります。


    ご迷惑をおかけしておりましたトイレも改修工事も完了致しました。


    女性専用トイレ


    男女兼用トイレ

  • 大正寺100周年記念法要

    2016年10月20日

    先日10月16日、副住職が赴任させていただいておりますハワイ島ヒロ市にある大正寺にて創立100周年記念慶讃法要が厳修されました。

    天候にも恵まれ日本やハワイ各島、アメリカ本土から総勢300以上の方がお越しになり、記念すべき100周年をお祝いいたしました。副住職は檀信徒供養の導師をつとめ、日本から妙見寺住職含め家族6人も参加しました。まだまだ未熟者の副住職ではありますが、本当に貴重な経験をさせていただきました。合掌。


    祝い餅まき


    梅花流詠讃歌


    導師をつとめる大正寺主任国際布教師(妙見寺副住職)


    本堂正面

  • 参道を広げました

    2016年09月27日

    真1枚目は先日の台風の爪痕です。強い雨風の影響により妙見寺道沿いの木が倒れる被害がありました。幸い道に人は歩いておらず、住職が片付けましたので何とか事なきを得ましたが、このようなことがないよう木の伐採もしていかなければなりません。

    そして境内の工事もゆっくりではございますが進めておりますので、現在は参道を広げトイレも改装しております。

    以前は使いづらいトイレでしたので、大変ご不便おかけし申し訳ございませんでした。来月にはトイレも完成予定です。合掌。

  • 滅却心頭火自涼

    2016年08月26日

    気温は38度を超え、今年も大変暑いお盆となりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。
    妙見寺ではお地蔵様の前のろうそくが写真のように曲がってしまいました。

    「滅却心頭火自涼(しんとうめっきゃくすればひもおのずからすずし)」という有名な禅語があります。これは9世紀頃の中国の詩人である「杜 筍鶴(と じゅんかく)」の詩が元の句と言われております。
    夏日題悟空上人院 夏日悟空上人の院に題す
    三伏閉門披一衲 三伏門を閉ざして一衲を披る
    兼無松竹蔭房廊 兼ねて松竹の房廊を蔭う無し
    安禅不必須山水 安禅は必ずしも山水を須いず
    滅却心頭火自涼 心頭を滅却すれば火も自ずから涼し

    和訳しますと、
    「猛暑にも関わらず、悟空上人は山門を閉ざし、きちんと法衣を着られます、寺には日を遮るような松や竹はありません、しかし、安らかに坐禅をするには必ずしも山や水の豊かな場所を用いる必要はない、上人のように暑さにさえも心を奪われることないの境地に達すれば、火もまた自ずと涼しく感じるようだ。」となります。

    これは禅の修行をすれば暑さもへっちゃらになる、というわけではありません。

    「心頭を滅却すれば火も自ずから涼し」

    「心頭」とは自分自身の心のこと、「滅却」とは自分自身の感情に振り回されることなく、ありのままを受け止める静かな澄み切った境地になることを表しております。
    猛暑の中、衣を着て坐禅をすることは確かに誰でも暑いと感じるでしょう。しかし、禅の実践からすれば、暑いという感情に左右されず心を落ち着けることによって、自分自身の心が、穏やかで澄み切った「涼しい状態」になるということです。
    私たちは普段の生活の中で、「暑い」「寒い」「忙しい」「疲れた」など様々な感情を口に出してしまいます。人とコミュニケーションをとるために使うこととしては大切かも知れませんが、その状態の「苦」ばかりにとらわれるのではなく、その状態をありのままに受け止めることが大切です。ある時はその感情を受けとめ、ある時はその感情から学び、その学びから楽に転じる生き方を実践していく。苦に囚われない生き方こそ、素敵な生き方であると私は思います。まだまだ暑い日が続きますが、心涼しく素敵な日々を過ごしてまいりましょう。合掌。

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