妙見寺ブログ

  • 眼施

    2019年03月01日

    3月になりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。

    3月はお彼岸の時期です。お彼岸にはご先祖様のお墓へ行き、亡くなった故人様の幸せを願います。そして自分も苦しみのない仏様の世界である「彼岸」にいけますようにとお祈りをし、お釈迦様の説かれた教えを実践する大切な期間でもあるのです。

    今月は「眼施(がんせ)」についてお話させていただきます。この教えは「無財の七施」というお釈迦様の教えで、ものやお金が無くても誰でも簡単にできる7つの布施の一つです。眼施とは、いつも優しい眼差しで人に接しましょうという教えです。
    皆さんは普段どんな目をして、人とお話をしますか?ちゃんと相手の目をみて話ができていますか?日本では「目は心の窓」と例えられます。目を見るだけで、自分の気持ちや相手の気持ちがわかってしまうのです。それほど目の動きは大切なのです。

    目の前の人が悲しんでいれば、優しく安心を与えることのできる思いやりのまなざしを届けましょう。目の前の人が悩んでいたら、一緒にその悩みを親身になって考える思いやりのまなざしを届けましょう。そのまなざしには人の心に愛情を届ける力が宿ります。

    最近はスマートフォンでのコミュニケーションが増え、実際に目と目と合わせて会話をする機会が減り、孤独を感じる人が多くなってきているのではないでしょうか。「眼施」はどんな時代においても実践すべき大切な教えなのです。春のお彼岸には特に「眼施」の実践をしてみてはいかがでしょうか。合掌。

  • 文殊舎利菩薩

    2019年02月01日

    あっという間に2019年の1月も過ぎてしまいましたね、皆様如何お過ごしでしょうか。
    今月は皆さんに下の写真の仏様についてご紹介をさせていただきます。これは皆さん何の仏様かわかりますか?
    これは文殊舎利菩薩(もんじゅしゃりぼさつ)という仏様です。お釈迦様の脇侍にあたり、智慧の仏様と言われており、「三人寄れば文殊の知恵」という言葉で有名ですね。
    文殊様は禅宗のお寺ではとても大切な仏様で、坐禅堂の真ん中に起き、坐禅の修行を見守る仏様と言われております。この写真の文殊様は先日、副住職の赴任先のお寺に寄付されたものです。サイズは約25センチほどの木彫りの像です。
    修行道場ではこの10倍ものサイズの文殊様が置かれ、修行僧の禅修行を励ましてくれます。文殊様が何をもっているかわかりますか?右手に剣、左手に巻物を持っています。これらは智慧の象徴と言われています。右手の剣は相手を傷つけるものではありません、人々のかかえる煩悩や間違った考を断ち切る力があると言われております。左手の経典は仏の教えを記した巻物です。文殊様は常に努力を惜しまず勉強され、私たちを正しい道に導いてくれるといわれております。そして常に結跏趺坐を組まれ坐禅をしており、その下には大きな獅子が文殊様を支えています。獅子は煩悩を防ぐ守り神なのです。
    どうでしたでしょうか、文殊様は様々な特徴がある大変興味深い仏様です。
    皆さんももし禅のお寺へ行く機会があれば、是非探してみては如何でしょうか。合掌

  • 和顔施

    2019年01月01日

    謹んで新年のご挨拶を申し上げます。当山も檀信徒皆様のご慈愛を賜り、新年を迎えることが出来ました。心より感謝申し上げます。
    昨年はとても災害の多い年となりました。各地で地震や台風の被害が発生し、より無常を感じられた年になったのではないでしょうか。私の赴任しておりますハワイ島でも火山の噴火により一部の集落に被害がありました。自然災害はいつどこで起こるかわからない時代です。不安を感じる毎日に私たちはどう生きていくべきなのでしょうか。
    仏教には「和顔施(わがんせ)」という言葉があります。
    相手に笑顔を届けることを仏教では和顔施と言います。和顔施は人の容姿や失敗を笑ったりする笑顔ではなく、自分も相手も幸せになる喜びに満ちた笑顔です。皆さんは赤ちゃんの笑顔を見た時、何を感じますか?自然と場が和み、気づくと赤ちゃんだけでなく自分も周りも笑っています。笑顔には人を幸せにする特別な力があるのです。
    お釈迦様はこの笑顔の施しを仏道修行の一つとされました。なぜならそれが私たちの心を豊かにするためにとても大切なことだからです。笑顔は難しいことではありません。物やお金の要らない子供から大人まで誰でもできる布施なのです。
    今年は平成も終わり、また新しい時代が始まります。不安なことも多いかもしれませんが、いつも和顔施を忘れることなく共に喜びに満ちた毎日を過ごしてまいりましょう。
    それでは皆様のご多幸とご健勝を心から祈念致しまして、新年のご挨拶とさせていただきます。合掌

  • 禅リトリート

    2018年12月01日

    12月になりました。皆様いかがお過ごしでしょうか?

    副住職が赴任しておりますハワイ島大正寺では先月「1日禅リトリート」が開催されました。

    リトリートとは日本語で「幽居」や「後退」を意味します。つまり禅リトリートとは普段の日常生活から離れ、お寺で他のことは考えず禅の教えを実践する一日修行です。そのためリトリート中は携帯電話の電源を切り、私語は禁止です。その日は朝の9時から3時までの6時間の間、坐禅、朝のお勤め、写経・写仏、サイレントランチ、茶道、ヨガを時間ごとに分けて行いました。一つ一つの行いに打ち込むことで、私たちは「今」という瞬間を精一杯生きます。そしてそれは結果として不安や迷いから離れたい生き方なのです。禅リトリートはとても人気があり、アメリカの禅堂ではこのようなリトリートが各地で行われております。合掌。

  • 達磨様と慧可

    2018年11月01日

    賑やかなハロウィンも終わり11月になりました。皆様如何お過ごしでしょうか?

    先月10月20日は太子町で「竹内街道灯路祭り」が開催されました。昨年は雨で中止になっておりましたので心配しておりましたが、今年は無事開催されました。妙見寺では灯路祭りに合わせ4時と5時の2回坐禅会を行いました。普段お越しになられない方が多くお越しいただき、素晴らしい一日となりました。

    そして皆様10月5日は何の日かご存知でしょうか?毎年10月5日は達磨様のご命日です。達磨様は禅の教えをインドから中国に伝えたことで有名です。禅宗のお寺では達磨様をとても大切にし、命日である10月5日には達磨様の法要を行います。

    今月は達磨様とその弟子である慧可(えか)との有名なお話をご紹介させていただきます。
    昔々、達磨様の下で修業をしていた慧可という僧侶は長年の悩みを達磨様に打ち明けました。慧可は長い修行を重ねてはきましたが、その悩みを解決することはできませんでした。
    慧可は達磨様に言いました。
    「我が師に是非教えていただきたいことがあります。私はどうしても心が安らぎません。どうか私の心を落ち着かせて下さい。」そして達磨大師はこのようなことを言いました。
    「よろしい。ではお前の心をここに出しなさい。落ち着かせてあげよう。」
    それを聞いて悩んだ慧可はこう答えました。
    「私には心をここにもってきてお見せするということはできません。」
    それを聞き、達磨大師は微笑んでこう言いました。
    「慧可よ。安らぎのない不安の心が出せないのなら、もうお前の心は落ち着いたのだよ。」
    その言葉を聞いた慧可は、達磨様の伝えたかった真理に気づき、不安なく禅修行に打ち込むようになりました。おしまい。

    以上のような短いお話でしたが、皆様はこのお話の中で達磨様が慧可に伝えたかったことは何かわかりますか?
    様々な考えがありますが、私が皆さんにこのお話から学んでいただきたい2つのことがあります。

    まず1つ目は、「自分自身が不安という感情を生み出していることに気づく」ということ。
    このお話の中で達磨さんは慧可に不安という心がどこにあるかということを気づかせました。達磨さんはお前の心をここに持ってきなさいと言いました。しかし慧可は自分の心を持って来ることができませんでした。さて質問ですが、皆さんは自分の目の前に自分の心を出すことはできますか?誰も出せませんよね。つまり私たちは普段自分の感情に振り回されて生きていますが、実際触ることも見ることもできないのです。それはなぜかというと、自分の心というのは自分自身が作り出した実体のないものだからです。
    もし私たちが自分の心を具現化して出すことができたら、私たちはその心を修理したり、新しい心に変えることができるかもしれません。しかし実体がないものですからそれを人に直してもらうということは不可能です。
    だから、達磨様は「だせるはずもない心を目の前にだせ」と慧可に伝え、慧可自身で不安という心は、自分自身が作り出した幻のようなものであると気づかせたのです。
    そしてその達磨様の一言で慧可の不安の心は消え、達磨様のもとで素晴らしい僧侶となりました。ここでこの話は終わりますが、皆さんこの話をきいてどう感じましたか?この話だけで納得できますか?自分自身の日常生活に当てはめてみてください。もし皆さんが病気や将来の不安で悩んでいる時、私から「達磨さんの言った通り、不安なんて自分の作り出したものだから、そんなものは存在しないんだよ。」と言われて納得できますか?実際私は、病気で悩まれている方にこのお話をして理解するのは難しいとおっしゃられました。私はこのお話の中に次のような達磨様の想いも込められているのだと感じております。

    2、「今の瞬間を生きることで、不安という感情は存在しなくなる」ということ。
    ここが私が達磨さんの伝えたかった2つめの大切なことであると思います。これは直接的にこのお話とは関係が薄れますが、達磨様の9年間続けられてきた坐禅の実践にはこのような想いが込められているのだと私は感じております。
    想像してみてください。もし私が皆さんに今皆さん自身の人差し指だけを見てくださいと言ったら、どうしますか?ただ自分の人差し指だけを見るすよね?次に今私が皆さんにただ気持ちよく手を広げてくださいと言ったらどうしますか?ただ手を広げますよね?それと同様、私たちは今の瞬間の動作に対して意識を集中させていれば、その瞬間他の事は考えないのです。その瞬間自分の不安な気持ちや欲望は自分の近くには存在していません。
    これが禅の修行においてとても大切なポイントです。「ただ一つの動作を丁寧に行って行くこと」です。その中では不安の感情などは入る隙間はありません。達磨様は坐禅を通して慧可や私たちにそのことを伝えたかったのだと思います。ですから、もし皆さんが普段の生活の中で不安な気持ちを感じた時、一度様々なことを考えるのを止め、ただゆっくり深呼吸をしてみてください。その瞬間心は落ち着き、不安な気持ちは少しずつ離れていきます。そしてこの深呼吸をしている時の気持ちを大切にして毎日を過ごしてみてください。
    それが禅を取り入れた日常生活です。禅の修行は特別難しいことではありません。ただ一つの動作を丁寧に行って行くことです。達磨大師が実践して生涯かけて伝えてきた禅の教えを大切にしていきましょう。

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